サンゴ調査の報告書の締め切りも迫り、お尻にボーボー火が付いているものの、折からの寒波で北風が強く、「まあ、いつでも行けるから最後にしとこう」と軽く考えていた笠沙大当。 前述の気象で、全然、潜るチャンスが無いですよ。困りました。 毎日、天気図と、気象情報とにらめっこしつつ、何と、減圧症の後遺症で足の感覚がほとんどない僕は、風呂で足に直径5cmもある水膨れができて初めて、かなりな火傷をしてしまった事に気付くという出来事も重なって、陸からのエントリーが足に負担がかかるこの場所には、なかなか行けなかったのです・・。 それに、病院の先生は、「ダイビングなんかしちゃだめよ。」なんて言うのです。「ドライスーツだから、濡れませんし・・」「だーめ!」なかなか頑固な親父です。 足の感覚が無いというのは困りものです。以前、家中に血の足跡が付いていて、娘が驚いていて、何だろうと思っていたら、20mmの木ネジが足の裏に刺さっていて、血がダラダラと出ているではありませんか! ドライバーでクルクル外すのも何ですから、電動ドリルで、ビュイーンと回して抜くと、ピューッと血がほとばしり出てきました。 病院に行くと、「こういう時は、抜かずに来てくださいね!」と看護師さんに叱られました・・。でも、ネジが刺さったままで行くのも気持ち悪いし恥ずかしいでしょ? 話しが逸れました。 そして、ついにその時が訪れました。昨日27日土曜日の午後だけ、天気も良く、風も波も落ちそうです。おまけに満潮時間も午後で、これはかなりエントリーも楽そうです。 そして、また、海案内最強ヘルパー、ミーコに頼んで、大当に連れて行ってもらいました。 午前中にしれっと、病院に行って火傷のガーゼ交換をしてもらい、先生が向こうに行った隙に、看護師さんに「思いっきり大きな防水シート貼って♡」としれっと頼み、いざ笠沙大当へ。 僕が学生の時は、ほんの小さな船揚げ場があるだけの港で、遠くに車を停めてえっちらおっちら歩いて行き、大変な思いをしながら、ここに通いました。 サンゴ群集が一面に広がる浅瀬を速攻で抜けて、はるかかなたの砂地を目指して泳いでいきました。だって、柏島で見つかったばかりのキツネメネジリンボウやヒレナガネジリンボウ、ホタテツノハゼspp.にミジンベニハゼspp.と胸躍るハゼの天国があるからです。 そのうちに、港がどんどん拡張されて、年配の定置網を引退された老漁師さんたちが小舟を数隻連ねただけの港がどんどん巨大化していきました・・。 そして今や、ドーンと広いガランとした巨大な港が出来上がり、車もエントリー口近くに停められるようになり、一躍ダイバーがたくさん訪れる場所となりました。 僕がまだ水族館に勤めていて、オープン前の魚集めが佳境に入った頃には、この大当の集落に民家を借りて、しばらく過ごしたこともありました。 その頃の風情は無くなってしまったなあ・・。小さな民家がぎゅうぎゅうと集まってできた集落の細道で、普及し始めた携帯電話で、妻が娘を身籠った事を知らされ、何だか分からないけれど、「俺、父ちゃんになるのか・・やっほーい!」と飛び上がったのも、この大当でした。 港に着くや、たくさんの車が。 土曜日だし、ひっさしぶりの凪の日だから、ダイバーが集まっていると思いきや、エギで、アオリイカを狙う釣り人達でした・・。 午前中はやはり時化ていたようで、隣の車のお兄さんが、デカいヒラスズキが2本ドーンと入ったクーラーボックスを自慢気に見せてくれました。 ヒラスズキは、地磯にいるとっても神経質な魚。時化で、陸上が良く見えない時によく釣れます。 波が無くなったから、仕方なくイカ釣りだよーと嘆いてらっしゃいましたが、こちらとしてはなんてラッキー、この寒波の中、ピーカン、べた凪、海は貸し切りですよ・・。気分が上がります。 可愛い顔してめっちゃ力持ちのミーコが、車からどんどん機材をビーチに運んでくれます。助かります。ありがとう・・。なんだか大名ダイビングです。 僕は杖を突きつつ、エントリー口の岩場をよろよろ降りて行きました。海用にヤフオクで買った980円の松葉杖です。高い高いロフストランド杖は錆びたら困るので、車にお留守番です。 ビーチエントリーはまだまだダメですね。本当に大変です・・。ようやく海に漬かります。・・温かい! 13℃の長島→16℃の錦江湾→18℃の大当。薄いインナーでも楽勝です。 ・・しかし、ここで問題発生・・。6年間倉庫に眠っていて、ろくに整備していなかったドライスーツのインレットボタンが戻りません。人には整備整備と言うくせに、自分のはほったらかし・・。困ったものです。じわじわとエアが入ってきて、浮かんでしまいます。浮き始めたらエアをエグゾーストバルブから抜き、また浮き始めたら・・。呼吸するのは僕だけでなく、ドライスーツも呼吸しています・・・。 エントリー口側の砂地。綺麗な白砂に午後の日差しが躍ります。綺麗なあ・・。時化の合間ですから、透明度は期待していなかったのですが、なかなか良いですよ! 大きなハコフグの仲間、ウミスズメが、こちらをちらちら眺めながら僕の前を泳いで行きます。ウミスズメってこんなに綺麗だったっけ?透けるような硬い外殻から突き出した鰭が細やかに動いて、僕の眼の前を移動していきます。自由自在に・・。美しいなあ・・。 そのうち、一匹のカワハギも加わって、2匹に先導されるように沖に出て行きます。岩の隙間に、大きなコウワンテグリが・・。目が合うと恥ずかしそうに、岩陰に胸鰭をはためかせて滑り込んでしまいました。いやあ、いいなあ笠沙。闘病中も(まあ今もですが)夏は家族でよくシュノーケリングに来ていましたが、やっぱりスキューバで魚目線でずーっと観察しながら潜るのって楽しいなあ・・。 ・・おっと、今日はサンゴ調査でした!しっかりサンゴを見て来ないと、おかみに怒られてしまいます・・。頑張らなくっちゃ。 笠沙と言えば、この堂々たるシコロサンゴの大群集です。なかなかの規模です。 眺めていると、錦江湾の桜島南岸の素晴らしいシコロサンゴ群集の健全だったころの姿が脳裏に浮かびます。オニヒトデの駆除をしてやれたら守れたかもしれないのに・・。とても悲しい思いになりました。 でも、ここ笠沙大当のサンゴ群集もいつまでも安全という訳にはいきません。鹿児島本土南西端の坊津から発生しだしたオニヒトデが、サンゴを食べ尽くしながら、北上して来ているからです。少なくとも沖秋目島の南側までは、オニヒトデが食い尽くして、サンゴが殆ど消えてしまいました。予断を許さないところです。 もし、沖秋目島を越え、野間岬をまわってオニヒトデが現れ始めたら、鹿児島のダイバーは一丸となって、この笠沙の美しいサンゴ群集を守らなければならないと強く思います。 そして、もう一つの大当で目立つのは、スギノキミドリイシ群集です。密に詰まったサンゴの間には、事故直後くらいに名前がついたばかりのマダライシモチが覗いています。そのままスーッとバックしてサンゴの陰に消えていきます。 そして、たくさんの種類のチョウチョウウオの幼魚たち。昔は「死滅回遊魚」なんて言っていたものでしたが、今や元気いっぱいにサンゴの枝のまわりをポリプをつつきながら泳いでいます。クギベラの立派なオスや、大きなカンムリベラ、イトヒキベラも今や本家イトヒキベラよりも、より南方系のクロヘリイトヒキベラが優占しています。何だか南の海に潜っているような気分になってきました・・・。おーっとサンゴ調査でした・・。 このスギノキミドリイシや、先のシコロサンゴ。昔は必ずしも、この2種が飛び抜けて海底を埋め尽くすように広がっていたわけではないのです。 もっとたくさんの種類のサンゴたちが、白い砂地の所々にあるゴロタ石の上を分け合うように暮らしていました。そしてあちこちに巨大なオオスリバチサンゴの群体が聳え立っていたのです。それが今や、他のサンゴたちをも足場にして、スギノキミドリイシとシコロサンゴが優占種となってしまったのです。 サンゴたちにも闘いがあるのです。よりたくさんの日光を浴びるために、上へ上へ、横へ横へと太陽の光を求めて広がっていきます。 これは、陸上の森を見ているのと同じようなものです。 そして、スギノキミドリイシは、その早い成長速度で他の種を圧倒してきました。他のサンゴの上へと枝を伸ばして。 でも、サンゴとしては弱く、他のサンゴに食べられてしまう事も多いのですが、それでも圧倒的に早い成長で、他のサンゴたちの光を奪い、その被度を上げていきました。 シコロサンゴは、その強い刺胞で、スイーパー触手と呼ばれる触手を伸ばして、周りのサンゴたちを殺し、食べて、その勢力を伸ばしてきたのです。 ですから、今度、笠沙の海に潜る機会があったなら、この2種類のサンゴの付いている基底部を覗き込んでみて下さい。多くの種類のサンゴの骨格が彼らの土台となっているのが分かるはずです。この2種類のサンゴたちは勝ち組で、負け組のサンゴたちを足場にしてこんなにも大きな群集を作り上げてきました。 多様性に富んだ元のサンゴ群集を、この2種類のサンゴが増える事で単純化していっているのです。 場所によっては、この2種が激しくせめぎあっている所もあります。 年によって、今年はスギノキの勝ちだなと思う年もありますし、今年はシコロサンゴの勝ちだなと思う年もあります。この要因については分かりません。 ただ、あちこちに潜って思うのは、近くに魚の養殖場があるところにはシコロサンゴの大規模な群集が見られることです。流れてくる養殖の残餌をシコロサンゴは食べて、その活力にしているのかもしれません。 こんな光景も目にしました。まるで、コブハマサンゴが、バーベルを持ち上げるように、シコロサンゴを持ち上げているように見えて、なんだか笑ってしまったのですが、コブハマサンゴにとっては、たまったものではありません。コブハマサンゴ群体の一部に死んだ場所があれば、そこにシコロサンゴの幼体が定着し、そして、コブハマサンゴを足場にして、今や覆いつくそうとしているところです。 コブハマサンゴの群体の上部をすでに覆っていっています。日陰になった部分のコブハマサンゴのポリプは殆ど死んでしまっていました。そして、ストロボを使って撮影していないので分かりにくいのですが、シコロサンゴの周囲、帯状にコブハマサンゴが死んでいるのが分かります。これは、さきに書いたように、シコロサンゴがスイーパー触手を伸ばして、コブハマサンゴの軟体部を食べてしまった跡です。そして、そこはまたシコロサンゴの足場となり、触手の届く限りの部分のコブハマサンゴは殺されてしまい、もうあと2年もすれば、このコブハマサンゴは、シコロサンゴに覆いつくされて見えなくなってしまうでしょう。 このようにして、シコロサンゴ群集は広がっていったのです。 コブハマサンゴは、小さなポリプが密に詰まった群体を作るサンゴです。その成長は非常に遅い事が分かっています。 シコロサンゴも、一見丸い塊の塊状のサンゴに見えますが、それは違います。シコロサンゴは板状サンゴなのです。群体を上から見ると板が組み合わさってできたような、隙間だらけのサンゴです。ポリプも非常に大きく、成長も早いです。このようにして、コブハマサンゴはじめ、成長の遅いサンゴは駆逐されていくのです。 それから、シコロサンゴの隙間だらけの構造は、土砂や火山灰の流入に非常に強いのも特徴です。 縦に広がった板状の群体には、土砂が積もりにくくなっています。隙間をすり抜けて、下へ落ちてしまうのです。しかし、コブハマサンゴや、かつてここにたくさんあったオオスリバチサンゴのようなサンゴは、土砂がかぶると粘液を出して泥の粒を体から浮かせ、潮の流れ、波の動きに頼って下に落とすしかありません。 そして、粘液を出すことは、サンゴの体力を奪います。1回程度の大雨なら耐えられても、近くで港の埋め立て工事などなどされてはたまったものではありません。 粘液を出し続け、弱ったサンゴの上には土砂が容赦なく積もっていきます。ましてや名前のごとくにすり鉢のような形をしたオオスリバチサンゴは、港の拡張工事が進むにつれて、死に絶えていったのです。そして、その骨格は、シコロサンゴや、スギノキミドリイシの成長する土台となっていったのです。 しかし、この寒波の大時化は、いかに強いシコロサンゴといっても、無事には済まされなかったようです。何せ、ここは、砂地にゴロタが転がったような海底です。大きな波でこのように、ひっくり返ってしまったシコロサンゴをたくさん見かけました。特に群集の周辺部でこのような被害が多かったようです。下部の(元は先端部の)ポリプはまだ生きているようでしたから、そう日は経っていないのでしょう。しかし彼らは逞しいのです。ひっくり返ってしまえば、ひっくり返ったままの状態から、自分の群体の体を土台として、逆さまに太陽を目指して成長を始めるのです。しかも、露出した基部の部分は、もう日も当たらず、ポリプは死んでいます。元着生していた転石も近くにあります。数年としないうちに彼らの群集は、元の姿以上に勢いを増す事でしょう。 そして、このように、まるで崩れたスレートの壁のようにも見えますが、板状の外側の部分が剥ぎ取られて、海底のあちこちに折れて散らばっているシコロサンゴも多く見かけました。大きなうねりが剥ぎ取っていったものでしょう。 中には死んでしまうものもいますが、これが基礎となり、ここからまたシコロサンゴの群体が起き上がって来ることもあるのです。 ちょうど、サンゴの移植といって、サンゴの枝を岩に差していくように、欠片となったシコロサンゴは、そこからまた成長を始めるのです。 この強さが、大当の海底の覇者となった所以なのです。 サンゴの海底の一部にこんな変わった景色が1箇所見られます。元は2箇所でした。 転石が、まるで積み上げられたようにこんもりと小山を作っています。いったいこれは何なのでしょう? 実はこれは、1990年代初めに、大当の港の、初めの大きな堤防が作られた時に、堤防の基礎にする石を、工事の台船が捨てて行ったものなのです。 一面に広がった、繊細なテーブル状ミドリイシ類の群集の上に突然投げ込まれた大量の石に、当時の僕や仲間のダイバーたちは、怒りに震えたものです。 役所に写真を持って行っても取り合ってくれませんでした。 海面の下の事ですから、見ないですませばそれでいい。見えないのだからそれでいい。しまいには、見なかったことにしておいてくれとも言われました。 この石の下には、貴重で珍しいサンゴもたくさん暮らしていたのです。本当に悲しい出来事でした。 それからもう30年。1つの低い方の小山は、シコロサンゴに覆いつくされてしまいました。そしてあと1つの大きな方の山もてっぺんだけが覗くのみとなりました。 浅くなっているので波の影響は強く、下は転石ですから、頑強な底質とはいえません。 だから今でも覆いつくされないのでしょう。 でも、あと直径10m程を残すのみです。シコロサンゴの群集が、四方から広がってきて、この屈辱の小山を隠そうとしています。 そうなれば、この光景を目にし、当時を思い出して悲しい思いをすることもなくなるのかもしれません・・。複雑な心境です。 スギノキミドリイシの未来は、明るい物ばかりでは無さそうです。群集の所々に、枝が白くなったところが点々とあります。 これは、オニヒトデと並んで、サンゴの大きな脅威となる、サンゴを食べる巻貝、ヒメシロレイシガイダマシです。 坊津の馬込浜の美しい、ミドリイシ類の大群集は、この貝が食べつくしてしまいました。 大当のスギノキミドリイシの群集もあちこち、全て斃死して、がれ場のようになった場所があります。 一部は、港を工事するための重機を入れるために、海岸近くの崖を削って道を作り、土砂が流れ込んだことが原因です。 そして、一部はこの貝が食べつくしてしまったものです。 ヒメシロレイシガイダマシは、大発生しない時は、サンゴの枝にくっついて、サンゴを少しずつ食べる小さな貝です。 食べられた部分は、貝が去った後、サンゴが自分で修復します。 ところが、どういう理由なのか、突然に大発生し、サンゴを食べつくしてしまうのです。1つの貝が食べるサンゴの量はわずかですが、大量発生するともう手に負えません。取除こうとしてもコロコロと転がり落ちて、とても全部拾う事なんてできません。 ある意味では、オニヒトデよりも駆除しにくい生物かもしれません。 和歌山県の串本や、高知県南部なども、この貝に徹底的にやられた場所です。 あちこちで、この写真のように集団になってサンゴを食べて居るのが見られました。美しいスギノキミドリイシ群集の未来には不断の注意が必要です。 少し深い場所に行ってみると(といっても10mそこそこですが)、景観はガラッと変わります。 大量の光を必要とする、スギノキミドリイシや、シコロサンゴは殆どいなくなり、変わって、多くの種類のサンゴが少しずつ暮らしています。 こんな場所は帯状に広く広がっています。浅い海底から斜面となって深場へと落ち込んでいく境目あたりです。 僕はこの辺りの光景が大好きです。 波当たりも弱いので、繊細なサンゴが枝を伸ばしています。ここでは、転石の間にクロマツミドリイシが小さな群集を作っています。 枝の間には、ミカドチョウチョウウオとヒレナガハギの幼魚が可憐な姿を見せてくれます。・・可愛いなあー。 さてちょっと、調べることは調べたし、深場の砂地でヒレナガネジリンボウにでも会いに行こうかな・・・と思っていると、何やらエアが渋くなってきたではありませんか。えー?残圧0じゃんか。 機材をセットして運んでくれたミーコを呼んで、タンクバルブ、ちゃんと開いてる??とサイン。・・開いてますよ・・。 むむむ。このドライスーツにやられたなー。 オクトパスを差し出すミーコに、浅いからシュノーケリングで帰るよ。とサインして、浮上しかかったのですが・・・。せっかくのこの美しい海底にいないのなんて勿体ないじゃんよ!と考え直して、有難くエアを頂戴することに・・。 ミーコの残圧は110以上。浅いとはいえ、小さいタンクであちこち動き回って、1時間近く潜っていたのに、さすがですな。 ふと見ると、ニラミギンポの若い雄が・・。可愛いなあー。 マスクの目の前まで近づいてじっくりご挨拶。 彼は、何かデカいのが来たぞ・・と緊張して、黒い身体に細い縞模様を出して、少々ビビり気味・・。名前の由来になった目の下の斜めのラインがくっきりと浮かび上がります。 昔、アホな若者だった僕や仲間たちは、ニラミギンポがこんなにたくさんいるのに、フタイロカエルウオだと思っていたのでした・・・。 そして、ある日、ダイビング雑誌に、伊豆大島の大沼さんが撮影された、こやつの写真がドーンと1ページに載り、日本初記録のニラミギンポって出ていて、ありゃ!こいつじゃねーか。ここらにたくさんいるヤツは!と目から鱗が落ちたのでした・・。 大沼さん、写真で見て勝手に怖い人と思っていたら、実際に会ったら、本当に優しい方で・・。初めて伊豆大島に遠征した時、柳場さん、大沼さんというレジェンドに囲まれて、小雨降りしきる秋の浜の堤防の上で、3人で魚の話しをしていて、ああ、こんな大人になりたいと思ったものです・・。 大沼さんには、減圧症からの復帰ダイビングの事でも大変お世話になり、本当に感謝しております。 ・・ニラミギンポを見ているだけで、優しいお二人の顔が思い浮かびます。 「こいつらデカいくせに何もできねえな!」とふんだ、ニラミギンポ君は、ちょっと調子に乗って、立ち上がって身体をくねらせる威嚇のダンスをしています。 身体の色も真っ黒にして。 で、ちょっと意地悪して、目の前まで再接近。すると、ごめんなさーいとばかり、するするとシコロサンゴの一間に逃げ込んで、また縞模様に・・。 魚って、絶対感情ありますよね!魚みたいな目をしやがって!なんて、な~んて生き生きとしたいい目をしてるんだって意味ですよね? 最後は、いつも上がる前に挨拶に行く、直径2mもあるサオトメシコロサンゴの群体のところへ。 同じシコロサンゴといえ、繊細なつくりが素敵です。こんなに大きな群体は、そうそうあるものではないですよ。 しかし、このサンゴ、30年前から大きさ変わってないんですよね。そりゃちょっとは大きくなっているとは思いますけど。 同じシコロサンゴのなかまでも、ずいぶん成長の仕方も違うのですね・・。 作りが小さく、板状の群体の間口が狭いので、低いところにある小さな群体の隙間には、ぎっしり、砂や小石が詰まっていました。生きていけるのでしょうか・・。 今の若者がこのサンゴを見て、そして30年後にまた見て、ちっとも大きさ変わらねえなあ。と、思ってくれたら素敵ですね。 サンゴを見る時は、時間のスケールが違う生き物と向き合っているっていつも思います。 あと30年経ったら、もう僕、アラエイティーです。それでも、海の環境さえ良ければ、このサオトメシコロサンゴは、ここに立ち続けているのでしょう。 その30年後も、そのまた30年後も・・・。 むむむ。何やら、エアが渋くなってきたぞ・・。 あらら、ミーコのタンクも空にしちゃったよ。ごめんよー。 なんか、楽しかったなあ。 ああ、潜りたい・・。もっともっと、ずっとずっと、海の中にいたいです。 #
by geikai_diver
| 2018-01-29 04:17
| 坊津
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